「水よりドロドロの液体の中って、泳ぐのもっと遅くなるよね?」
たぶんほとんどの人がそう思います。直感的には。
でも科学はこういう素朴な疑問を本気で検証します。
2005年にイグ・ノーベル賞級の話題になった研究は、「人間は水と同じくらい、あるいはほぼ同じスピードでシロップの中も泳げる」ことを示しました。
「いやいや嘘でしょ」と思うなら、この記事はあなた向けです。
この研究は?
この研究のアイデアはシンプルです。
「ドロドロした液体(高粘度のシロップ)だと、泳ぐのは遅くなるのか?」
それとも「水より重いぶん、逆に体を押せるから、案外いけるのか?」
研究者たちは、実際にプールを用意し、水とシロップ状液体で人間を泳がせて記録を取るという、文字どおり全力の実験を行いました。
結論を先に言うと、水のときとシロップのときで、平均的な泳ぐ速度にほとんど差がなかったのです。
これがめちゃくちゃ面白い。
どんな実験だったのか?
この実験は、大学のプールを使って行われました。
被験者には水泳経験者・非経験者の両方が含まれ、年齢や性別もバラけさせています。
まず、水だけを満たした状態でクロールなどの泳法をさせ、一定距離を泳ぐのにかかった時間を計測。
次に、同じプールの水に増粘剤(増粘用ポリマー)を大量に入れ、“スープ状のとろみ”のあるシロップ風プールをつくって、同じ距離を泳いでもらいました。
このときの粘度は、水のおよそ数倍〜十数倍程度になるように調整されています。
要するに「もはやスープか風呂のゆるい片栗粉」みたいな世界です。
研究者たちは、各被験者のラップタイム、フォーム、ピッチ(ストロークの回数)などを比較し、単に「遅い・速い」だけでなく泳ぎ方の違いも分析しました。
なぜこんなことが起こるのか?
ここがこの研究のいちばんおいしい部分です。
「粘度が高い=動きづらい」は半分正しいけど、半分間違いなんです。
たしかに、シロップ状の液体は抵抗が大きいので、腕や脚を動かすときに“重い”。
でも同時に、その“重さ”が「押し返す相手」になってくれるんです。
どういうことかというと、泳ぐとは「水を後ろに押し、その反作用で体を前に進める」ことです。
で、水がドロドロになればなるほど、
手のひらや足のキックがガッシリと液体をつかめるようになるんですね。
水のようにスルッと逃げず、強く押せる。
結果として、前に進む力(推進力)もちゃんと生まれる。
つまりこうです。
・シロップは「動きにくい」が、
・そのぶん「押しやすい」。
この2つが相殺しあって、トータルのスピードは意外と変わらない。
これがこの研究で示された、とてもシンプルで、でも直感とズレた真実です。
この研究が教えてくれること
この研究は、ちょっとふざけたテーマに見えて、じつは流体力学の理解を人間スケールで見せてくれる名教材です。
ポイントは「速さは、抵抗だけで決まらない」ということ。
抵抗は悪者ではなく、ときには味方になる。
たとえばプロの水泳選手は、水をどれだけ“つかめる”かを重視します。
キャッチが浅いと、水が指の間から逃げてしまい推進につながらない。
でも水が少し粘いと、ブレーキにはなるけど、逆に手足でしっかり押せるようになる。
泳ぎの効率は、「どれだけ水を押せるか ÷ どれだけ余計なエネルギーを使うか」というバランスで決まるわけです。
日常で見られる“粘度と動き”の例
- スプーンでハチミツをかき混ぜると重いけど、ちゃんと「押せてる」感じがある
- 空気よりも水の中のほうがキック一発で進む(空気は軽すぎて押せない)
- マッサージ用ジェルやオイルは、サラサラすぎると力が逃げてしまい、逆に押し込めない
- 低速の船は、推進器(プロペラ)にわざと粘い環境を作ることで効率を上げたい場面がある
- 筋トレ用の「水中エクササイズ」は、まさに“抵抗が味方になる”仕組み
実は私たちは日常的に「ドロドロだから遅い」と思い込んでいるけど、
それは「何を目的に動いてるか」によるんです。
進みたいなら、“押し返してくれる相手”も大事なのです。
この発見から学べること
- ① 直感はわりと間違う
「重い=遅い」は本能的なイメージ。でも実際は違う場合もある。科学はそのズレを見つける遊び。 - ② 抵抗は悪ではない
抵抗(反発・粘り)は、推進や安定のための土台にもなる。ビジネスでも創作でも同じことが言えるかも。 - ③ 人体はかなり適応する
被験者の多くは、シロップの中では自然にストロークを大きく、ゆっくりに調整していた。
つまり身体が勝手に“その環境に合った泳ぎ方”を選んでいた。 - ④ ふざけた疑問こそ価値がある
「泳げるの?」「やってみよっか」で実際にプールを改造して測定する。
この精神がイグ・ノーベル賞のど真ん中。
まとめ
水より粘っこいシロップの中でも、人はほぼ同じスピードで泳げる。
これは、粘度が生む“重たさ”と、“しっかり押せる安心感”が釣り合うから。
この研究は、単なるネタではなく、
「推進力とは何か」「抵抗とは何か」という流体力学の基本を
人間のスケールで証明した実験でもあります。
そしてもうひとつ大事なこと。
科学は、真面目であると同時に遊びであるべきだということ。
次にプールを見るとき、こう言ってみてください。
「これ、シロップにしたらどうなると思う?」
その疑問から、次のイグ・ノーベルが始まるのかもしれません。
参考文献:
「Swimming in syrup is as easy as water」 — Nature 記事(2004)〈https://www.nature.com/articles/news040920-2〉 Nature
「2005 Ig Nobel Prizes」 — Chemistry & Engineering News 記事〈https://cen.acs.org/articles/83/i41/2005-Ig-Nobel-Prizes.html〉 cen.acs.org

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